あれはもう10年近く前になります。
六本木で、ある芸能プロダクションの社長さんに阿部典史(あべ・のりふみ)くん(以下ノリック)と言うバイクレーサーを紹介されました。
その時は加藤大二郎くん(以下大ちゃん)と言うバイクレーサーも一緒でした。
2人共まだ20代前半で少年ぽさの残ったスポーツマンらしい爽やかな印象でした。
大ちゃんはホンダに所属していて250ccのクラス、ノリックはヤマハのバイクレーサーとして世界最高峰のバイクレース500cc(MotoGP)で活躍していました。
日本国内では鈴鹿サーキットとツインリンク茂木でレースが行われていたので、私も応援に行っていました。
それまでレースなんて車だろうがバイクだろうが全く興味も何も無かったけれど、レーサーと言う職業を背負う事の凄まじさに一瞬で取り込まれてしまいました。
車とは違い、何も守る物がない生身の体で、新幹線よりも速い300㎞を超える速度で私の目の前を走り抜けて行く姿に感動と恐怖で体が震えました。
まだ少年ぽさの残る普段はあどけない彼らが、レースになるとまるで別人のような顔になり、殺気立つようなオーラを発しながら命を懸けて走る姿。
今でもあの気迫とスタートの緊張感、オイルの匂いを思い出します。
毎年サーキットに応援に行くのが楽しくなってきた頃、大ちゃんが250ccというクラスからノリックと同じ500cc(世界最高峰のレース)クラスに上がると言う話が出てきました。
大ちゃんは250ccクラスで何度も優勝していて天才ライダーと呼ばれていたんです。
ノリックは大ちゃんの成長を嬉しく思いながら、自分を超えてしまうんじゃないかというプレッシャーなどを複雑に感じていました。
2人が良きライバルとしてお互いを刺激しあい、抜きつ抜かれつ成長をしていければいいなあと思っていました。
ところが大ちゃんは500ccクラスに上がって、確か2年目の開幕戦で帰らぬ人となってしまったのです。
レーサーはサーキットで死ぬのは本望だと言う人がいるけれど、それから私は命を守る事を1番に、次に表彰台に上がる為の対策を出すようになり、より強い守りを与えるために私はノリックにブレスレットを作りました。
とにかくレース中の事故や怪我を防ぐように祈りを込めて。
それから10年近くノリックはレーサーを続け、私はノリックの力になってきたつもりです。
こんな事もありました。
「今日のレースでは、このバイクのセッティングでいった方がいい」と言う私の意見と、ノリックのチームにいるプロのメカニックが決めたセッティングの方法が違っていました。
私はバイクには素人のくせにセッティング方法にまで口を出すもんだから(もちろんノリックに聞かれたから答えただけなんだけど)、外国人のメカニックが怒ってしまった事もありました。
今年のシーズンに入る前も日本でやるか世界でやるかなどを相談しながら、「今年は初心に帰って、もう一度新しいスタートをしよう、それで復活を考えていこう」という結論に至り、「3位になりました、表彰台にあがれました」と元気に報告してくれていたノリック。
一般道でしかもバイクに乗っていて事故に合うなんて。
もちろん違反をしてUターンをした、相手のトラック運転手が悪いんだけど。
ノリックには普段は極力バイクに乗らないようにって、車の運動も気を付けなさいって言っていたのに。
10月12日金曜日
青山葬儀場で行われたお通夜に行ってきました。
お焼香をするために並んでいる時まで、全く実感が無くて悲しいという感情が出てこなかったんだけど、お焼香がすんでノリックのお父さんとお母さんとお兄ちゃんの顔を見たとたん、感情があふれてきて涙が止まりませんでした。
私にすがるように「ありがとうございました、これからも宜しくお願いします」と言うお父さんと、 憔悴して下を向いたまま涙を流すお母さんに私は涙を流すだけで何も言えませんでした。
外の駐車場に出てきても、なかなかその場から立ち去る事が出来ず、ファンの方々のために展示してあったノリックの写真パネルを見に行っていました。
心よりご冥福をお祈り致します。
ノリック、みんなに感動をありがとう。